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一票の格差と司法・立法のあり方について〜平成25年11月20日判決〜

弁護士 村上智裕

平成25年12月16日更新

 一票の格差については、去年の同じ時期にも記事を書きました(参照:平成24年11月29日付「一票の格差と最高裁判所」平成24年12月3日付「一票の格差と最高裁判所(つづき)」 )。“平成24年12月16日の総選挙は、最高裁が「違憲状態」と判断した状況下で行われる初めての総選挙であり、選挙後の最高裁の判断に注目です。”というようなことを書いたのですが、結局、平成25年11月20日の最高裁判決は(平成24年12月16日の総選挙における一票の格差が違憲状態にあることは認めつつも、国会の裁量に委ねられている合理的期間内に是正されなかったとは言えないとし、結論として)「合憲」だったと判断しました。同選挙については、最高裁に辿りつくまでの過程で、14の高裁判決が「違憲」としていただけに、最高裁判決に対するマスコミ等の論調は、「判断が後退した」というものが多かったと思います。

 「裁判所」は、国家の統治にかかわる権力作用の一つ、司法権を担う機関ですが、裁判所が他の権力作用(立法権の「国会」、行政権の「内閣」の政治部門)に対して違憲審査を行うにあたって、どのような姿勢をとるべきかが議論されることがあります。違憲審査において政治部門の判断への介入をなるべく控えようというあり方を司法消極主義と呼び、その逆を司法積極主義と呼びますが、日本の裁判所は前者(司法消極主義)のあり方を採っていると言われています。司法消極主義が採られるのは、政治部門と裁判所の性質・役割の違いによるものだと思われます。政治部門は、もともと選挙等の多数決によって正当性を獲得したうえで政治的判断を行っています。それに対して、裁判所は、権力者の恣意等から人権侵害を防ぐことを目的に設置された機関であり、多数決によって正当性を獲得している政治部門とは性質を異にします。「政治の問題に対して政治部門が判断しているものに対して、民主的基盤をもたない裁判所が積極的に踏み込んで判断していくべきなのか」「政治部門の問題は、本来、民主的基盤を持たない裁判所の判断よりも、選挙等民主的手段によって(民主政の過程において)是正されていくべきではないか」こういった問題意識が司法のあり方の議論の背景にあります。

 もっとも、現在、選挙無効を争っているグループは、「一票の格差の問題は、政治部門(民主政の過程)では是正できない問題である」と主張しているようです。“国会議員は、選挙制度を作る立場にありながら、選挙を受ける立場にもある。選挙を受ける立場にある者に、公正・不公正の判断はできないでしょう”として、「民主政の過程で是正できないものは裁判所が判断するしかない」と主張しています。
 先に述べたように平成25年11月20日最高裁判決は、平成24年12月16日の総選挙を結論として「合憲」としましたが、この合憲判断は、国会が平成24年11月に駆け込みで0増5減の格差是正関連法を成立させたことを斟酌してのものでした。すなわち、最高裁は、かかる国会の動きを見て、「国会には“選挙制度の是非に対する判断・実施能力”がないとは言えない」「民主政が働いていないとはいえない」と判断したわけです。
 しかし、国会には、自らが政治部門として機能している姿を示すためにも、裁判所に促されて修正を加えるといった消極的な対応ではなく、自ら積極的に正当な選挙制度を策定する姿勢を示してほしいものです。今の国会の選挙制度に対する姿勢は“立法消極主義”と呼ばれても仕方がありません。
   以上
                                                                    

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